書けなかった日の夜は、なかなか眠れません。
もし明日書けなかったら、
明後日以降も書けなかったら、
なんて妄想にドキドキしてしまうのです。
0から1の作業は、書けなければずっと0というコワさと隣り合わせです。
グレアム・グリーンの小説にこんな一文があったような。
「友人とのティータイムの間に小説は出来上がっている」
かなり昔に一度読んだきりなので、はっきりとした記憶ではありませんが。
滞っていた文章が、昼間に友人と会い、帰宅して執筆に取りかかると淀みなく文章が溢れてくる。
といった感じだったような。
ちょっとニュアンスが違うかも。グレアムのファンの方が読んでたらごめんなさい。
いったいどんな影響と作用で書けるときと書けないときがあるのか、
未熟な自分にはまだまだわかりません。
ただちょっとした影響で書けなくなったりということは、
自分にも心当たりがあり、
なので、
執筆期間は気を遣って生活するものの、
やっぱり耳を塞いで目を瞑って生きてるわけではないので、
何かの影響を受けないということはやっぱ不可能です。
だけど、結局のところ、書けないのは全部自分一人のせいで、
結局のところ、自分一人でなんとかしなくちゃいけないということが、
書くことの面白さなのかもって、さっきから思い始めました。
そうそう、結局一人なんですよね、書くことって。
だから好きなんだと思います。
で、
今日から巧さんの本番。
最近ちょこちょこ連絡を取り合っているのですが、
なんだか今回は大変そう。
だけどなんだかんだ言ってがっつり成長して「テガミ」の稽古場に現れそう(笑)
自分もこの七ヶ月遊んできたわけではないということを、
きちんと見せなくてはって感じです。
よし、ねむくなってきた。
巧さん頑張ってください。
自分も明日から頑張ります。
おやすみなさい。
永妻でした。